老母 (執筆中)
執筆途中です
序
1
夢を見た.
これでもかと皺が強調され,病的に頬を赤らめた母の様は,脳の皺に根付いたカビのように記憶にこびりついている.老いの片鱗も見られなかった父は車に乗って待っているというのに,母は一人,寝室の隅に体育座りでうずくまり,壁に向かって喘鳴を発していた.奴隷の座り方だ.
ヒュウヒュウ,ヒュウヒュウ.風切り音は,まるで鞭の如く.一息の鋭い痛みは,経緯も病状も知らずただ棒立ちの,無知な私に行動を促した.
「風邪?」
あまりにも間抜な質問だった.単なる風邪ならば床に臥していなければならない.加えて,この諦念を纏った姿では,まるでーー
「大丈夫」
口は動いていないのに,質問に劣らず簡潔な返答が聞こえた.嗄れなど一切感じさせないいつもの声だった.きっと私が盲だったならば,少し風の強い何気ない日々の一片だと誤認していただろう.アア,見てしまう前に目玉を潰しておくべきだった.
2
いつだったか,太宰治の物語を読んだ時,私は私の人生のすべてを端的に形容する言葉を見つけたことがあった.アサマシイ.そう,私の人生は浅ましいのだ.件の物語の中でもこの言葉は一人の人生を形容していた.碩学が歳月をかけて洗練させた公式の如く,複雑怪奇なヒトの一生をたった一言で片付けてしまう日本語に敬服したものだ.
この浅ましさは抑圧と個人主義に由来する.完全に邪悪な,或いは,完全に善良なものは,現世には存在し得ないだろうが,時折,この頭の中では生まれることがある.
特に暴力は最悪だ.論理と知性を否定する暴力は,振るった者の善性を此処で未来永劫喰らい続け,代わりに悪性の糞を撒き散らす.奴らを祓おうとすれば,たちまち手足が,口が動かなくなり,体の隅々から自由意志の一滴に至るまでを残らず奪い取ってしまう.オソロシイ.夢から醒めた今でも,早く車へ向かわなければあの獣がまた殖えるのではないかという恐怖が忘れられない.
きっと虹色に脚色されるのだろうから,被害者は多くを語るべきではないが,経験は振り返られなければ意味がない.客観性を重んじよう.それでも私はきっと被害者だったはずだ.
中
1
母と父は仲が良かった.誰しも誕生を経験しているならば一番最初の記憶というものを持っているはずだが,私の場合それは,朝早くに出社する父と,それを見送る母とが玄関で接吻を交わす情景だ.私は寝室のベッドからぼやけた視界で見つめていて,母は幸福そうな笑顔だった.後ろの下駄箱の上には写真やら,どこかの工芸品やらが整然と置かれており,玄関照明のレンズゴオストも画に華を添えた.父の顔は・・・,死角になっていたのか,逆光だったのか,よく覚えていない.
不思議なことに母が出社する父を見送る情景は,この一度しか記憶にない.当時は毎朝見送っていたはずなのだが.
両親の仲は次第に悪化した.調味料をかける前に一口でも味見してほしいと主張する母と,見せつけるように調味料をかける父を覚えている.母は泣いていた.父の顔は・・・,はっきり見えていたはずだが,これもまたよく覚えていない.
2
中学受験という概念を初めて知ったのはいつだったろうか.保護者面談から帰って来た母が玄関口で言及したのを覚えている.曰く,私は周囲より勉学において優れているため,担任に受験を薦められたと.優秀であることを他者から認められて浮かれていた私は,しかし,小学生に年単位の将来を思い描くことなどできるはずもなく,受験する意思があるかを母に問われた際に曖昧に肯定したのだった.
凡ゆる選択は,特に人生に長く影響する場合は,コストとリスクに対するリタアンの大きさを基に決定されるべきではあるが,この選択については計算が不十分,いや,一切の演算すら行われていなかったはずだ.きっと気をよくしたことと幼さが原因だろう.そうに違いない.
曖昧な肯定の後,すぐに,中学受験塾に入塾した.殆ど毎日の授業は,予習を前提としたものだった.もはや授業なのかも怪しく,内容は,演習問題の答え合わせと質疑応答,最後のおまけとして次の授業までに予習すべき場所を教えてくれる始末だ.
個人の自由な時間を家庭学習などというものに割きたくなかった私は,予想通りに,塾ではすぐに落魄れた.仕事算,比,補助線...解答する番が回ってくる度に,身体が熱くなった.分かりません.わかりません.ワカリマセン.
自由な時間はなくてはならないものだ.少なくとも,大いなる自由がリタアンに見込めないならば犠牲にするべきではなく,この局面で犠牲にしたところで,その見込みは限りなく薄い.行く中学校が変わる可能性があるだけにすぎない.むしろ通学時間が伸びれば,さらに自由が失われることも考えられる.
川に沿って塾へ行き,また川沿いを家へ帰る.コンクリイトの汚い川底を横目に見る度に,曖昧な肯定の浅はかさを感じた.負債は一刻も早く解消しなければならない.利子がこれ以上膨れる前に.
3
父が家に居る週末が嫌いだった.何かと理由をつけて自身のサイクリングに私を付き合わせようとしてくるのだ.身体を動かすことは別に嫌いではないが,毎週毎週10キロオウダアの距離を意味もなく自転車で走らされるのは苦痛でしかない.
当時住んでいた場所は,山を切り開いて作られたニュウタウンであったがために,周辺の道の勾配は険しく,舗装された山と谷がうんざりするほど連なっていた.自転車で一つ一つの山を登ったからといって何かが変わるわけでもなく,ただただ暫くの下り坂で足の休憩を挟むだけである.そもそも端から登ることさえしていなければ,その休憩さえ要らないのではないか.重いペダルを踏みつけながら,ビッグバンとは逆に,思考は収束していく.即ち,この行為に意味があるのか.意義.リタアン.ベネフィツト・・・.
ある日,折り返し地点の公園で休憩を取ることになった.渇いた喉に水分を与える.このときばかりは快楽を感じるが,そもそもこれら一連の行為がマッチポンプであることを思い返せば,悦に浸ることさえできない.意味.意義.リタアン.ベネフィット・・・
「中学受験,本当はやらされてるんだろう?」
唐突だった.今まで父のサイクリングに無理やり付き合わされていた際も,何度か二人で休憩を挟んだことはあったが,その時していたのは他愛のない無意味な会話だ.故に今回も,擦るマッチを数本増やす程度の会話だろうと思っていた.
予想に反した父の言動は,しかし,負債を踏み倒す好機を生んだことを私は直感した.放置すれば,理解できないリタアンのために,あと数年間は高すぎる利子をふんだくられるのだ.この機を逃す手はない.損切りは早いほうが良い.
私は私だけのために言葉を返した.
4
両親の関係はもはや修復不可能なほどに壊れていた.
以前の客間は父の寝室となり,また,父は週末を跨いだ出張に出ることが多くなった.週末のサイクリングに誘われることもなくなったので,私としては願ったり叶ったりの状態ではあったが,度々父の口から発せられる「あいつの教育が悪い」という言葉にはいい心持ちはしなかった.
母は母で,父の攻撃的な口調や態度に抵抗できずにいた.自らの子の前で夫婦喧嘩を控える程度の常識は両者共にまだ失っていなかったようだが,それでも稀に発生していた諍いで聞こえてくる声の大半は父のものだった.
当時の私の目には父が強者,母が弱者という単純明快な構図が見えていて,次第に,オイディプスの憎悪とルサンチマン的思想の相乗効果が,父が悪,母が善という三段論法的結論を導き出した.悪は早急に排除しなければならない.
5
目が覚めた.突然だった.ベッド横のタンスの上に置かれていた忌々しき目覚まし時計も沈黙を貫いていて,デジタル表示はまだ朝の5時を示している.夢の記憶もない.なぜこんな時間に起きたのかと疑問に思っていると,リビングで誰かが喋っている声が聞こえた.荒々しい声色だ.
「経済的・・・が引き取った方が・・・」
聞こえたのは一部の言葉のみで,例の如く,それらは全て父の声だった.
「お前・・・育て・・・ないでしょう!」
全てを解した時,形容すらできないほどの不愉快さが込み上げるのを感じた.私の自由意志が現在進行形で暴力的に蹂躙されていることに腑が煮え繰り返った.自身の尊厳が失われようとしている.その事実が,早急なる対処の必要性を脳髄に突きつけた.
他者の自由意志を踏み躙るならば,それは秘密裏に行わなければならない.少なくとも踏み躙られている本人に,踏み躙られていることを知覚させてはならない.私に母ではなく父を選ばせたいのであれば,自然とそう選ぶように盤面を作り上げなければならない.故に,廊下の先の扉を挟むリビングで行われているであろうこの密談は,私が目を覚ましてしまった今では最悪のブランダアだ.
手本を見せてやろう.相手の悪手を最善手で咎めることこそが,ゲエムの醍醐味ではないか.ベッドから起き上がり,廊下を進んで,密談を密談たらしめていた扉を開いた.照明のレンズゴオストが目を突き刺す.急に訪れた静寂に構うことなくリビングに侵入した私は,ソフアで適当な本を読み始めた.本の内容など一切頭に入ってこなかったが,父の母への恫喝はそこで途切れたのを覚えている.
終
WIP